あらかん の つぶやき

50代の女性の日常生活

終戦記念日に、亡き父を想う

父は、サイパンへ戦争に行った

父は、無線班だったので、

戦線へ行ったりしてはいなかったそうだ。

それでも、映画で見るような、

上司から、殴られたりしたそうだ。

 

酔うと、『私のラバさん、酋長の娘〜』

と、音程の外れた声で、よく歌った。

幼い私は、この歌の意味はわからなかったが、

あまり好きではなく、

『お父さん、音痴〜』と言って、

父の歌を遮った。

 

父は、戦友会に、定期的に出かけていった

今でこそSNSがあるから、身元を確認しあえるが。

あの当時は、住所のみの交換で、

良く戦友会を開けたものだ。中には音信不通に

なる方もいただろう。

出かける時も楽しそうだが帰宅してからも、

ご機嫌だった。

殴っていた上司が、肩身を狭そうにしていたり、戦後はそれほど出世してない事を知ると、嬉しそうに母に話していた。

母は、適当に相槌を打っていた覚えがある。

サイパンへも出かけた

戦友会で、サイパンへ行き、

戦死した戦友達を偲んでいた。

その時の写真で、

父が背筋を伸ばし、姿勢正しく気をつけして

立っていたのを覚えている。

 

普段から父は、家族写真でも、

立っている姿は、姿勢正しく気をつけの

姿勢だ。

リラックスして立っている姿を

見た事がない。多分、戦時中、嫌と言うほど

気をつけの姿勢でも立たされ、時には理不尽な理由で、殴られたそうだ。

その為に、身に付いてしまったのだろう。

 

父にとっては、戦争中に共に苦しい思いをした戦友が、一生の共だったようだ。

父の葬儀の時に、戦友達が集まってくれて、

火葬場まで来てくれて、

遺骨になった父を、皆で代わり番こに、

抱いてくれた。

 

この時代に亡くなった方達のお陰で、平和に生きている事を改めて感謝

そう、生きているのではなく

生かされている事にも、感謝❣️