終戦記念日に、亡き父を想う
父は、サイパンへ戦争に行った
父は、無線班だったので、
戦線へ行ったりしてはいなかったそうだ。
それでも、映画で見るような、
上司から、殴られたりしたそうだ。
酔うと、『私のラバさん、酋長の娘〜』
と、音程の外れた声で、よく歌った。
幼い私は、この歌の意味はわからなかったが、
あまり好きではなく、
『お父さん、音痴〜』と言って、
父の歌を遮った。
父は、戦友会に、定期的に出かけていった
今でこそSNSがあるから、身元を確認しあえるが。
あの当時は、住所のみの交換で、
良く戦友会を開けたものだ。中には音信不通に
なる方もいただろう。
出かける時も楽しそうだが帰宅してからも、
ご機嫌だった。
殴っていた上司が、肩身を狭そうにしていたり、戦後はそれほど出世してない事を知ると、嬉しそうに母に話していた。
母は、適当に相槌を打っていた覚えがある。
サイパンへも出かけた
戦友会で、サイパンへ行き、
戦死した戦友達を偲んでいた。
その時の写真で、
父が背筋を伸ばし、姿勢正しく気をつけして
立っていたのを覚えている。
普段から父は、家族写真でも、
立っている姿は、姿勢正しく気をつけの
姿勢だ。
リラックスして立っている姿を
見た事がない。多分、戦時中、嫌と言うほど
気をつけの姿勢でも立たされ、時には理不尽な理由で、殴られたそうだ。
その為に、身に付いてしまったのだろう。
父にとっては、戦争中に共に苦しい思いをした戦友が、一生の共だったようだ。
父の葬儀の時に、戦友達が集まってくれて、
火葬場まで来てくれて、
遺骨になった父を、皆で代わり番こに、
抱いてくれた。
この時代に亡くなった方達のお陰で、平和に生きている事を改めて感謝
そう、生きているのではなく
生かされている事にも、感謝❣️