あらかん の つぶやき

50代の女性の日常生活

時の人 尾畑春夫さん

日本中が歓喜した❣️

ボランティアの尾畑春夫さんが、現地に入って、おじいちゃんから事情を聞いて

2歳児がいるところを検討つけて

何と30分で見つけてしまった❣️

 

警察などが探しても見つからなかったのに。

 

子供の行動、そして子供の目線で考えたら

山の上へ登って行くと考えた。

 

素晴らしいではないか!

そうなんだよね。大人の目線ではなく

子供の目線にならないと。子供って、

意外な行動に出るから。

 

この尾畑さん、生き方も素晴らしい❣️

仕事を引退してからは、世の中に

恩返しをしたいという事で、被災地での

ボランティアを始めたそうだ。

 

私なんか、仕事辞めたら、

旅行へ行って、楽しい事をして人生終えよう

なんて考えているのに。

本当に頭が下がる。

 

年金生活でも

お金がある範囲内で、生活すれば良いと、

インタビューで答えていた。

又々頭がさがる。

 

そうだよね。お金は、棺桶に持っていけないのだから、シンプルな生活で良いのだ。

 

ボランティア始めた頃より、お痩せになった

尾畑さんは、

シンプルな生活、人の為に身体を動かす。

要らぬ脂肪は、削げおち、日に焼け

精悍な顔になったように思える。

 

やはり、歳を重ねると、その人の人生が

顔に現れるよね。

 

本当に素敵な歳の重ね方。

誰もが出来ることではない。

私も、改め直さなくては。

 

ありがとう。尾畑さん。テレビ越しに

話してくれた貴方の話に

目が覚めたよ。

山口県の行方不明の2歳児発見❣️

 

良かった❣️無事で

日本中のおじいにゃん、おばあちゃん始め皆が

思っただろう❣️

 

朝、母親が村中に聞こえるように、

スピーカーで話しかけていた。

 

その様子をテレビで見て、見つかるようにと祈りながら、孫のお守りのために電車に乗った。

 

電車の中でネットニュースで、見つかった事を知り、本当に良かったと思った。

 

他人事ではない

行方不明になった原因は、

祖父が孫を一人で家に帰らせたことだ。

祖父にとっては真っ直ぐの道で、

間違える事なく家に帰れると思ったのだろう。

でも、2歳児にとっては、

そんな道も、探検だ。

いつもは大人と手を繋ぎ歩いていても

一人で歩くとなると、周りのものが

興味津々だったのだろう。

 

私も、幼い頃はよく迷子になった

今でも忘れない。母と姉と3人で

歌舞伎座へ行った時のことだ。

幼い私には、歌舞伎は退屈だった。

姉とトイレへ行き、母の待つ席に一人で帰ると行って姉から離れたのだ。

でも、姉と歩いている時は、簡単に帰れると思ったのに、どのドアも同じ。

分からなくなり、、グルグル回っているうちに、迷子になった。あの頃は、吉展ちゃん事件があり、母も、青くなったようだ。

私は、優しそうな二人の女性が、声をかけてくれて迷子案内に、連れられた。

 

なので、子供の目線は、大人とは違うのだ。

これを忘れてはならない。

 

亡き母に、よく言われたものだ

私が母になった時に、亡き母が

『つが離れるまでは目が離せない、気が離せない』と。

とは、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、

このおしまいに付くつのことだ。

 

この教えを、胸に孫の世話の時は

十分に気をつけたい。

終戦記念日に、亡き父を想う

父は、サイパンへ戦争に行った

父は、無線班だったので、

戦線へ行ったりしてはいなかったそうだ。

それでも、映画で見るような、

上司から、殴られたりしたそうだ。

 

酔うと、『私のラバさん、酋長の娘〜』

と、音程の外れた声で、よく歌った。

幼い私は、この歌の意味はわからなかったが、

あまり好きではなく、

『お父さん、音痴〜』と言って、

父の歌を遮った。

 

父は、戦友会に、定期的に出かけていった

今でこそSNSがあるから、身元を確認しあえるが。

あの当時は、住所のみの交換で、

良く戦友会を開けたものだ。中には音信不通に

なる方もいただろう。

出かける時も楽しそうだが帰宅してからも、

ご機嫌だった。

殴っていた上司が、肩身を狭そうにしていたり、戦後はそれほど出世してない事を知ると、嬉しそうに母に話していた。

母は、適当に相槌を打っていた覚えがある。

サイパンへも出かけた

戦友会で、サイパンへ行き、

戦死した戦友達を偲んでいた。

その時の写真で、

父が背筋を伸ばし、姿勢正しく気をつけして

立っていたのを覚えている。

 

普段から父は、家族写真でも、

立っている姿は、姿勢正しく気をつけの

姿勢だ。

リラックスして立っている姿を

見た事がない。多分、戦時中、嫌と言うほど

気をつけの姿勢でも立たされ、時には理不尽な理由で、殴られたそうだ。

その為に、身に付いてしまったのだろう。

 

父にとっては、戦争中に共に苦しい思いをした戦友が、一生の共だったようだ。

父の葬儀の時に、戦友達が集まってくれて、

火葬場まで来てくれて、

遺骨になった父を、皆で代わり番こに、

抱いてくれた。

 

この時代に亡くなった方達のお陰で、平和に生きている事を改めて感謝

そう、生きているのではなく

生かされている事にも、感謝❣️

 

 

 

ミッション インポッシブル フォール アウト見てきた

痛快な映画❣️

トムクルーズが、トップガンで

デビューした時からのファンだ。

 

えっ!えっ!と、何度も声をかけてあげそうになったり、目を離せなかったり。

 

ストーリーも、予想に反したり、

やっぱりねーと、一人でほくそ笑んだり。

 

始終目を離せない展開でしたね。

 

何よりトムクルーズの身体能力の凄さ❣️

スタントマン無しで演じた場面を

テレビで言ってた場面。凄いです。

骨折しながら、演技したそうだ、、。

 

ブルースウィルスも、無敵だけど

トムクルーズも然り。

 

あり得ないって!

と思うし、もう、そこは死んでるでしょう?

という場面もあるけど。

ま、痛快娯楽映画だ。

最後に正義は勝つ❣️と、思って見れば

充分に楽しめる。

車好きバイク好きなら、カーアクションだって

充分に見る価値あるでしょう。

 

残暑厳しい中、涼しい映画館で、

頭空っぽにして見るには

最高❣️トムクルーズ最後❣️

昨夜はプレバトの日

おめでとう㊗️梅沢富美男師匠❣️

無冠の帝王と言われていた?梅沢富美男さんが、やっと、炎帝戦を制しましたね。

 

発表の時に、1位と最下位を残す。

それも、名人10段の、梅沢富美男さんと

東国原英夫さんの2人だ。

 

MCの、浜ちゃん、流石です。

面白い残し方。

 

東国原英夫さんは、もうタイトルを3回取ってるから、

梅沢富美男さんかーと、思いましたが。

 

でも、納得の俳句

素敵な季語。夏の日照りが続いた夜の赤い星の意味だそうです。

今年は、暑い。酷暑でした。夜になっても

熱が冷めず、確かに赤い星が見えただろう。

 

そして、豪雨で未だ生活が戻らぬ地域もある。

こんな時に地震があったら、どうしよう。

天災の恐ろしさを痛感した夏。

 

そんな、不吉で不安な何とも怖い俳句に思えた。

僅か、17文字の中に、これだけの気持ちを盛り込める、発想させる俳句に改めて

魅了された。

 

どうした?東国原英夫さん!

盗作の疑いをかけられたりと、

少し気持ちが、落ち込んでいたのでしようか。

 

夏っちゃん先生曰く、

俳句の世界では、同じ俳句を詠むのは

あるあるだそうだ。そして、性善説。

 

確かに、先人の俳句を沢山読んでいるうちに、

フット思いついた俳句が似てしまう事もあるだろう。

 

私は、フジモンの俳句好きだったな

そう。私が子供のころ、

化学と学習を定期購読していた。

化学には、付録が付いていて、

自分で、カメラやラジオを作った。

半田ごてなんで、今の子は知らないだろう。

私の父は半田ごてを使っていた。

背中を丸めて半田ごてする姿が目に浮かぶ。

あー、懐かしい。

フジモンの俳句で、しばらくの間

亡き父を思い出したよ。

 

俳句の素晴らしさ。

日本語の美しさ。

 

 

逸見政孝さん

やはり、素敵な声だ❣️

昨晩、フジテレビで、逸見政孝さんの

特集をしていた。進行は、坂上忍さんだ。

ゲストには逸見政孝さんが、ニュー番組をやっていた頃に、組んでいた安藤優子さん。

 

途中、感極まって安藤優子さんが泣いていた。

 

当時の録画を流し、逸見政孝さんの声を聞くと

何とも、素敵な声だ。

 

発声が、しっかりしていて、滑舌も良く

お腹に響く声だ。

 

当時、フリーになってからも、活躍

フリーになってからは、ビートたけしの

番組の進行をやったりと、局のアナウンサーの頃と違って、柔らかな表情を見せていた。

 

真面目一本に見えたアナウンサーの頃と違い、

嫌味の無い発言で、笑いも取れる本当に

ウエットに富んだ人だった。

 

当時は、癌の告知は本人にもしなかった

そう、今は、本人家族の希望で、

癌の告知を本人にする。

そして、セカンドオピニオンも

当たり前のようにする。

私も、もし、家族が自分が病になったら

必ずセカンドオピニオンをするつもりだ。

そして、個人の気持ちを尊重して、

癌の告知を考える。

逸見政孝さんは、家族の説得にもかかわらず、

中々セカンドオピニオンをしなかった。

した時には、手遅れ。

命に関わる事なので、悔やんでも悔やみきれないだろう。

 

そして、記者会見を開き、癌の告白

これも、当時では前代未聞の事だ。

逸見政孝さんが、癌の告白をして、

テレビの前で、必ず癌を治し生還すると

語った。この事は、当時同じ病に伏せっていた方達の、励みになっただろう。

 

しかし、私には、彼には死相が見えていた。

そう、不吉な思いをしながらテレビを

見ていた記憶がある。

 

亡くなって25年

あんなに心に残るアナウンサーは、中々居ない。

 

本当に素敵な声だった。

改めて残念。

パイロットの腕の良さ❣️

友人が、香港から羽田空港へ今朝帰ってきた❣️

昨日より、台風13号がゆっくりと日本を

横断している。

昨夜から今朝にかけてが

関東地方は、最大の風雨と予報されていた。

 

友人は、ちょうど昨夜香港を旅立ち

今朝、羽田空港へ着いた。

 

友達ラインの上で、皆で心配していた。

香港へは、彼女のご主人に会いに行っていてのだ。日本には可愛い娘を残して。

 

穏やかな飛行で、日本に来た時に

グレーの雲の中に入った時に

僅かに揺れたくらいだったそうだ。

 

確実に、パイロットの判断の良さと腕の良さだろう。

 

あらためて、パイロットになる方には、

適性と実習を積んで経験値を上げて、

運転して欲しいと思う。